二十歳のたび① ~ドライブ編~

 大学生3年生の夏にアメリカ横断旅行をした。アメリカ横断は私が学生の間に是非やっておきたいことのひとつだったのだが、ある日「夏休みにアムトラックアメリカ横断長距離列車)のチケットを取って行こうと思う」とサークルの先輩A君に話したところ、彼も卒業旅行でLAに行く予定なのでそこからNYまで車で一緒に横断しないか、という棚ぼた的な話が持ち上がった。私は免許を持っていなかったのでその話に喜んで便乗した。行きは彼の運転する車にLAからNYまで乗せてもらい、帰りはアムトラックでひとり旅を楽しむことにした。

 時間と予算の都合上、ほぼ走りっぱなしで5日間でNYまで行くという超ハードスケジュールだったので、A君は朝から晩まで運転し続け、私は助手席でナビと食事係になった。食事も通りがかりのファストフード店のテイクアウトか、スーパーで買いこんだパンや缶詰を車内で簡易サンドイッチにしたもので済ませ、トイレ休憩がてらガソリンスタンドに寄り、毎日夜9時ごろになると近くの町を地図で探して安モーテルに泊まった。

 

道中で二度ほどヒヤっとするトラブルがあった。

一度はやっとその日の宿泊先を見つけA君が建物の入口を探しに行っている時、なかなか戻ってこないA君を探しに行こうとして“インキ―”してしまった時だ。ワイヤーハンガーなどで直せるタイプのロックではなく、あれこれ試したがうんともすんともいわない。モーテルの電話を借りてAAA(日本でいうJAF)に電話すると「その車種は特殊な機械じゃないと開かない」と言われたので来てもらうことになった。

車の外で二人で待つ40分間は針のむしろだった。ただでさえ運転を交代出来ない役立たずなのにこんなミスをして、運転でクタクタになったA君に余計な負担をかけてしまい、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも幸いまだ旅の前半でお互いの存在に嫌気がさす前だったので、A君は怒ったりせず「まあしょうがないよ」と言って慰めてくれた。

 

 二度目はコロラド州の田舎町で、8月だというのに雪が降った夜だった。近くの町を探しながら走っていると、おんぼろのトラックが道端で立ち往生していて、その隣に50代ぐらいのおじさんがいてこちらに向かって手を振ってきた。夜だったしスルーしようか二人で迷ったが、雪も降っているし他に車も通りそうもなかったので、気の毒に思って車を止めた。おじさんは近くの農家の人で、車が故障してしまったので自宅まで送って欲しい、とのことだった。大人しそうなおじさんだったので、特に危険はないだろうと思い乗せて行ってあげることにした(今だったら絶対にそんなことはしないけどね)。気を遣って私が助手席から振り向いておじさんにあれこれ世間話をしていると、急におじさんがイライラした口調で「君たちとは話をしたくないから黙っていてくれないか!」と言ってきた。私もA君もその剣幕に驚いて黙り込んだ。私たちは「後ろから撃たれたりしませんように…」と祈りながらおじさんに言われるがままに15分ほど走り、ようやく自宅に着くとおじさんは不愛想に「Thanks」とだけ言って乱暴に車を降りていった。

 車が故障して不機嫌だったのか、それともアジア人なんか大嫌いだけど他にいないから嫌々私たちの車に乗ったのか、理由はわからないけど私もA君もこの出来事でひどく疲れてしまい、その日は早めにモーテルにチェックインした。今考えると殺されたりしなかっただけでもラッキーなのだけど。

 

トラブルはあったし、せわしないドライブ旅だったし、5日間の後半にはA君との空気もだんだん悪くなってきたのだけど(そりゃあ他人と5日間もずっと2人きりでいたらお互いの存在が疎ましくなるよな…)、当時憧れていたアメリカという国の色々な顔を見ることが出来たのは本当に興味深い体験だった。

おそらく車での旅でなかったら一生通らないであろう町でスーパーとかガソリンスタンドに立ち寄ったり、雲の影がくっきり見えるほど何もない平原に挟まれた、真っすぐ一本にのびるハイウェイでガンガンに音楽をかけて走ったり、真っ暗な砂漠地帯を延々と走った後に忽然と現れるネオンだらけのラスベガスの街にワクワクしたり、二十歳ごろのあの感受性があったからこそかけがえのないものに感じられた大切な思い出がたくさんできた旅だった。写メもビデオもなかったけど、なんていうことのない車窓の景色の数々が今でも鮮明に浮かんでくる。

 

長くなってしまったけど帰りのひとり旅でもまた色々あったので、続きはまた書きます。 

おわり

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