大人のじぶん

 打ち合わせが終わり少し時間が余ったのでパソコンを開いてみた。

 こうして毎日仕事で色々な大人たちと打ち合わせなんかしていると、「あぁ、自分も大人になったものだなぁ」と思う事がある。

 実際、年齢的にはとっくに大人なのだから当たり前なのだけど、主観で見る自分は小さい頃からさほど変わらなくって、姉の前でおどけてアイドルのモノマネをしていたちびまる子ちゃんみたいな自分が、ハイヒールで街を闊歩し、見積もりやら契約書やらを手に取引先と交渉したりしている事がとても不思議に思えてしまう。目の前の取引先の大人も、同じような事を感じているのかな、とふと思ったりする。

 小学生の頃は学校の先生になりたかった。小学3、4年の担任がテニスのナブラチロワ選手似のテキパキした先生で、その先進的な考え方に私は衝撃を受けた。ナブラチロワ先生はとても厳しかったけど、「今までに受け持った中で一番優秀な子かもしれない」と私に目をかけてくれていて、私もその先生を崇拝していたのだ。(大成しなかったのでその先生には申し訳ない…。)

 中学に入ると、元々読書が好きだったこともあり、国語の先生か小説家になりたいと思うようになった。そして高校で完全にアメリカかぶれをこじらせてしまい、大学では英語を勉強して通訳か翻訳の仕事をしようと思っていた。

 英文学科へ行けば英語が喋れるようになると思っていた私は、シェイクスピアなんか全然好きじゃなかったけど英文学科に進んだ。当然の事ながらそれでは実用英語など学べないので、独学で英会話とビジネス英語を勉強し、4年間を終える頃にはかなり喋れるようになった。何でも三日坊主な私が唯一熱心に毎日続けたのが、この時の英語の勉強だ。本当に英語という言語が好きで楽しかったから続けられたのだと思う。

 超就職氷河期の中、大手の女性総合職の求人はほぼ皆無で、ある業種の小さな国際事務所に入った。そこには女性の総合職が私しかおらず、おじさま達から何となくちやほやされた。その一方で事務の女性社員の仲良しグループには入り込めず、割とあからさまないじめを受けて、一年ほどでほぼ辞めさせられるような形で退職した。

 当時は本当に理不尽だと思っていたけど、今思うと私も新人のくせに色々と生意気なところがあったのだと思う。それに、結局そこを辞めたことで色々な道が開けて、20代前半で翻訳の仕事に就くことが出来たので、今では前向きに捉えている。(それにしても本当に閉鎖的な職場だったなと思うし、退職の日に私に聞こえるように「あー良かった!」と言ってきた経理のババアを思い出すといまだにムカつくのだ。)

 それから紆余曲折を経て13年ほど前に今の仕事に出会い、会社勤務を経て3年前に何とか自分の会社を立ち上げることが出来た。昔夢見た通りではないけれど、私にとっては”天職”に近いものかもしれないなーと思っている。

 またいつ転機が訪れるかはわからないけど、それまでは今の仕事を精一杯やっていきたい。そして時々は、将来を夢見ていた頃の自分を思い出して「なりたかった自分になれているかな?」と問いかける心の余裕を持っていられたらと思う。

f:id:shiofukin:20171026173405j:image