知らない大人のこと

小学校4年生くらいの頃に、知らない人の家を訪ねるのがマイブームだったことがある。

今考えるとものすごく危険だし迷惑な行為なのだが、毎日近所の女の子たちと自転車で公園に行ったり縄跳びをしたりシロツメクサで王冠を作ったりすることに飽きてきた私は、大人の友達が欲しいと思うようになった。(お子さんがいらっしゃる方にとってはヒヤヒヤする話で申し訳ないです。今より少しのんびりした世の中だった頃の話です)

 

当時、都内の住宅街に住んでいた私は、近所の商店街に囲まれたエリアを歩きまわり、住人が庭に出ていると話し掛けてみる、というのを繰り返していた。同級生の家や子どもがいる家は避け、優しそうな人を選んで「何してるの?」と柵越しに声を掛けてみる。すると大抵の人は「庭の草をむしってるんだよ」とか「猫に餌をあげてるんだよ」とか返事をくれ、ヒマを持て余したおばちゃんが家に招き入れておやつを出してくれることもちょくちょくあった。それはそれで楽しかったが、当時の私にとって、おやつを食べる姿をニコニコ見ながら「学校は楽しい?」とか質問されるのは何だか子ども扱いされているようで少しくすぐったかったし、かと言って息子のグチを延々と聞かされるのもいまいちピンとこなかった(実際そういうおばあちゃんもいた 笑)。

私が求めていたのは、普段家でも学校でも接することのない二十歳前後の「お姉さん」や「お兄さん」との出会いだったのだと思う。でもそうした人たちはたぶん大学生や社会人をやっていて、平日の昼間に家でヒマそうにしているのを見かけることはほとんどなかった。

そんな中、今でも印象に残っている“大人”が2人だけいる。

 

1人は整骨院の裏の茶色い家に住むお姉さんだ。その家は周辺の家に比べて大きく、横に幅広い形をしたロッジ風で、私は通るたびに気になっていた。そこの娘だという短大生のお姉さんとどうやって知り合ったのかはよく覚えていないが。初対面で家に上がらせてもらった後もちょくちょく訪ねて行った記憶がある。

ひんやりした薄暗い廊下と急な階段、小さい木のベッドがあるお姉さんの部屋。そのお姉さんは遊びに行く度にガラスの小物入れだとかレモンの香りのコロンの小瓶だとか、ちょっとした物をポンポンくれるのだが、当時の私にとってそれらは宝物のように感じられ、「大人の女の人ってスゴイなぁ」と憧れの気持ちを抱いていた。

半年ほど経つと、訪ねていっても留守な事が多くなった。たまたまヒマな時期だったのが終わったのか、子どもと遊ぶのに飽きたのかはわからないが、私も次第にお姉さんの家には行かなくなった。

 

もう1人は公園の近くの古いアパートに住むお兄さんだ。真夏の暑い日、公園からの帰り道にふと見ると、アパートの1階の窓が全開になっており中には黒いTシャツ姿でうちわをパタパタする男の人がいた。男性の年齢や職業なんて10歳の私には知る由もないが、記憶の中のイメージを辿ると平日休みの仕事をしている20代半ばくらいの営業マン、という雰囲気だったように思う。窓越しに「何してるの?」「暑いからゴロゴロしてるんだよ」みたいな会話の後、私はお兄さんの部屋の万年床に座り砂糖入りの麦茶を飲みながら、彼がカセットテープをひとつずつ見せて知らない歌手の話をしているのを聞いていた。

今の感覚なら、20代の独り暮らしの男性が知らない小学生の女の子を部屋に入れるのは「アウト」だと感じるのだが、当時の私の判断力がそこまでではなかったのか、時代なのか、それとも幼いながらに「このお兄さんは大丈夫」と感じたのかわからないが、その後もお兄さんのお休みの曜日を狙って何度か部屋に遊びに行った。

お兄さんは特別子ども好きという感じでもなく、いつも私との歳の差なんか意に介さない様子で自分の好きな音楽(確か佐野元春尾崎豊かなんかのファンだったと思う)や好きな食べ物といったとりとめのない話をしてくれて、兄のいない私はいつも新鮮な気持ちで話を聞いていた。

何度めかにお兄さんの部屋に遊びに行った時、いつもの砂糖入り麦茶を出された私は、だいぶお兄さんと仲良くなっていたことも手伝い、からかうような口調で「何で麦茶にお砂糖なんか入れるの?美味しくないよ~」と言った。するとお兄さんは「何だと~?」とふざけて私のお腹をくすぐってきた。その瞬間、私の中でお兄さんに対する得体のしれない不安感や嫌悪感が一気に膨れ上がった。

 

確信を持って言えるが、彼の中にいかがわしい気持ちは一ミリもなかったと思う。むしろ彼にとってそのしぐさは、普段接し慣れない小学生の子どもに対して初めて見せた、「子ども相手らしい」しぐさだったはずだ。でもそれまで私を“傍観者”かのように無機質に接してきたお兄さんが、初めて私を“女子小学生”と認識して接してきた事で、私の中で彼の存在が生々しいものに感じられてしまったのではないかと思う。(もちろんこれは30年以上経っての何となくの分析だけど。)

私はぎこちなく麦茶を飲み干すと「もう帰らなきゃ」と言ってアパートを出た。息を切らして家まで一気に走ると、その後お兄さんの部屋には二度と行かなかった。

 

昔の断片的な記憶がよみがえってくる度に、本当に色々な出来事があったなぁと思うのだが、特に小学生から中学生にかけての自分の行動は危なっかしくてしかたがない。よくもまあ奇跡的に大人になれたと思う。そして道行く大人たちがみんなそうした危なっかしい時期を生き延びていま、こうして淡々と生きているのだと想像すると、勝手に感慨深くなってしまうのだ。

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