心の病のこと

911アメリ同時多発テロが起きた事は、私の人生に思いもよらぬ影響をもたらした。

とは言っても私は当時カナダに住んでいて、直接巻き込まれた訳ではなく、あくまで安全なところから怖がっていたというだけの話なので他人からしたら何をオーバーな、という感じだと思う。

 

2001年、27歳の私は結婚3年目の夫と2匹の猫と、古いアパートメントを自分たちでリノベした居心地の良い部屋に住んでいた。こちらに越して来てからしばらく続けていた在宅の仕事も辞め、専業主婦としてヒマを持て余していた私は、一人で買い物をしたり、家でクッキングチャンネルをひたすら見たり、数人いる主婦友達と時々外食したりして、自由だけど刺激のない日々を過ごしていた。よくある話だが世間から取り残された焦燥感からストレスが溜まり、夫とよくケンカをするようになっていた。

 

9月11日は夫を仕事に送りだした後、友達とカフェでお茶をしながらとりとめのない話をしていたと思う。朝のニュースでNYの航空事故のことは知っていたけど、その時点では当然カナダに住む自分の生活への影響などは全く考えていなかった。

ところが午後になって「どうやら事故ではなく大規模テロの可能性がある」という話を耳にした私たちは、とりあえず帰宅した方が良さそうだという事で、予定していた買い物をやめて地下鉄でそれぞれ帰宅した。それからテレビのニュースに釘づけになり、このテロ事件の深刻さがみるみる増していく様をリアルタイムで見ていた。

しばらくするとカナダの都市部も狙われる可能性があるということ、また地理的にテロ犯の逃亡先になる可能性があるということで空港、地下鉄駅、主な観光スポットが全面封鎖された。

 

夕方には夫も職場から早めに帰宅し、「怖いね」なんて言いながら簡単な夕食を食べていた。

テレビ画面に大きく映し出されたツインタワーと、そこに飛行機が飛び込んでいく様を何度も繰り返し見ているうちに、私は急にご飯を飲みこむ事が出来なくなり、息苦しく、血の気が引いて冷や汗がどっと噴き出てくるのを感じた。「体調が悪いから横になる」と言って私は早々にベッドに入った。なかなか動悸と冷や汗はおさまらなかった。

 

翌朝夫を見送った後、家で独りでいるのが心細く不安になり、とにかく誰かにすがりたいような衝動に駆られて、部屋着にサンダルを引っかけて徒歩5分ほどの場所にあるクリニックに駆け込んだ。

そもそも自分が病気なのか? この何とも言えない感情をどうやって医者に説明したらいいのか? 不安はあったがとりあえず昨夜からのザワザワする気持ちを出来る限り説明した。話しながら涙が出て止まらなかった。すると若い男性医師は「昨日のショッキングな事件のせいで、心を痛めている人がたくさんいます」と穏やかに言って、薬を処方してくれた。私が陥ったのは「Anxiety Attack(不安発作)」とのことだった。

 

私はこの正体不明の精神状態には病名があること、先生にそれを理解してもらえたこと、他にも同じような症状の人がいる事を知り心底ホッとした。対処療法と治療薬の両方出してくれていたので、その日から幸い不安感はだいぶおさまった。後になって考えると911の事件はあくまでも症状のトリガーになっただけで、当時の結婚生活で抱えていた様々な問題が根本の原因だったのだと思う。

しばらくして症状は治まったが、数年後に夫と別居し離婚問題に直面する頃に再発し悪化していった。その頃は何を食べても味がせずボソボソに感じるだけで食事ものどを通らず、あっという間に7キロほど痩せた。そして会う人ごとに「痩せた?」と言われるのがひどく苦痛になり、そう言われる度に「自分はこのままどうにかなってしまうのではないか」という不安に駆られるようになった。別居が決まりひとりで帰国した時はあまりに痩せていたので父にひどく心配された。母は心の病に理解のある人だったので相談していたが、父はそういうのを「気の持ちよう」と言うタイプの人なので言わなかった。

 

離婚成立後はだいぶ安定し、体重も戻り(というかもはや増え)日常生活には全く支障がないような状況だが、今でも心療内科のお世話になっている。時期によって薬を減らしたりということはあるものの、仕事やプライベートで大きな悩みやプレッシャーを感じた時などに発作を起こすことが年に数回ほどあり、もう一生付き合っていくものなんだろうなと開き直っている。きっかけは911の事件だったけど、その後離婚問題などを経てそのまま持病として定着していったという感覚がある。それは元夫とのいざこざのせいだけではなく、私自身の心の弱さや完璧主義的な考え方、生来の悲観的な性格などによる部分も大きいのだと思う。

 

持病があるなどと友人に話すと気を遣わせてしまいそうだから自分からはあまり言わないようにしているが、私自身は自分がずっと心療内科のお世話になっている事自体には何の抵抗もなく、話の流れによっては割とおおっぴらに話している。特に最近は世間の理解もあるし、周りにも何らかの問題を抱えている人は少なくない。親しい友人や会社の後輩などが意を決して「最近どうも気持ちが落ち込む」とか「何に対してもやる気が起きない」などの相談をしてきた時は、「わかる、私も実はこういう経験があって・・・」という話をすると、それだけでホッとしてもらえることも多い。もちろん私は専門家でも何でもないから、そこから治療を受けるかどうかはそれぞれの状況や意志によるものだけど、私自身がそうであったように、この何となくのモヤモヤには名前があって同じような感覚を経験した人が身近にもいると知るだけで少しは気が楽になるのではないかと思う。

 

四十も半ばに差し掛かり、これからますます将来への不安、健康面の問題に直面していくことを考えると、生きていくこと自体がとても難儀なものに思えることがある。子どもの頃思い描いていた未来と比べて今の自分がひどく色褪せて感じられることもあれば、日々の小さな愉しみに幸せな気持ちになることもある。こうして一喜一憂を繰り返しながら目の前の日常をこなしていくうちに人生が進んでいくというのは案外幸せなことなのだろうけど、まだこの先に自分の人生が大きな輝きを放つチャンスがいくつか残されていることをつい願ってしまう。

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