忘れたい町

ハッピーな思い出について書こうかなと思ったのだけど、書きたいことリスト(思いついたら時々携帯にメモしてるだけだけど)を眺めていたらビョーンと目に飛び込んできたワードがあって、そのどんよりした思い出が頭から離れないので、それについて書くことにした。

そのワードは、ある都内の町の名前だ。

 

誰にでも人生の山と谷があるものだと思うけど、私の場合30歳からの数年間は間違いなく「谷」だった。カナダから独りで帰国し、実家の居候生活を経て最初に引っ越したのがその町だった。就職が決まった会社に電車一本で行けて駅のすぐ近く(&猫OK)という条件で急いで選んだ家賃9万円のマンションは築30年くらいの薄暗い1DKで、毎朝うっすら京浜急行の音が聞こえるような部屋だった。

それまで住んでいた(結婚を機に夫が購入した)カナダのデザイナーズマンションに比べたら本当に侘しい部屋だったけど、自分なりに居心地良く家具を配置し、毎日部屋で好きな音楽をかけ、好きなテレビをみて、ひとりでお酒を呑んだりする時間は悪くなかった。

 

そこに住んで新しい職場に通うという生活が半年ほど続いた頃、会社から昇進を言い渡された。30歳で全く初めての業界に入るというのは私なりにチャレンジだったからひたすら一生懸命に仕事をしていたら上司が認めてくれたのだ(会社としても、年齢や社会人経験を考慮して元々半年ぐらいで育てあげるつもりだったのだろうけど)。

仕事は面白かったし、お給料が上がるのは嬉しかったけど、新しい部署を作ることになり新人を何人か雇ったりして、この頃から仕事量が格段に増えた。終電で帰れればラッキー、終電を逃してもタクシー代は落ちないという、今なら完全にブラックな労働環境だったけど、当時はそれがこの業界の常識という感じだった。

それから一年間ほどは新しい部署の立ち上げで、試行錯誤しながらもある程度自由にやらせてもらえる一方で、責任も、期待される成果もだんだん大きくなっていき、プレッシャーに押しつぶされそうな毎日だった。

そしてちょうど同じ頃、まだ正式に離婚が成立しておらず揉めていた私の携帯には夫からしょっちゅう感情的な国際電話がかかってきて、それも私の心を重くしていた。今考えると何をどうやってあの日々を乗り越えたのか本当に想像もつかない。

 

当時、身も心も疲れ切って残業後に(自腹の)タクシーで帰る途中、よく近くのスーパー銭湯に寄っていた。24時間営業だけど深夜3時過ぎの女湯は貸し切り状態で、メイクを落として熱い湯に浸かり、身体が温まった頃に屋上の展望風呂に上がるのが私のルーティーンだった。展望風呂は塀に囲まれていて(当時)、石の枕がついた浅い浴槽に仰向けに寝ると空が見えるようになっていた。物音ひとつしないその展望風呂で深夜の東京の空を眺めると、自分が世界でひとりぼっちになったような気がして、「自分の人生はこの先どうなるんだろう」とか「こんな毎日を送って身体を壊したらどうしよう」とか「マンションに帰ってドアの前に夫がいたらどうしよう」とか、不安な日々を反芻するばかりだった。

 

それから間もなく、仕事も少し落ち着いてきて夫もようやく離婚を承知してくれ、私はもっと会社からタクシー代がかからない部屋に引っ越すことにした。そして選んだのは、賑やかな街にある真っ白で明るい新築のマンションだ。

引越し当日、新しい部屋に足を踏み入れた時、私は目の前がパーッと開けたように晴れ晴れとした気持ちになったのを覚えている。大げさかもしれないけど、やっと谷底から抜け出ることが出来たように感じたのだ。

 

それから何度か引越しを繰り返し今に至るのだけど、今までどこに住んだことがあるか、という話になった時、いつの間にか私はその町に住んでいた事を言わないようになった。あの頃を思い出したくないからだ。

だけど私の意識から完全にそれが消し去られることはなく、仕事でしんどい時や寂しい夜にふと、あの町のスーパー銭湯から見上げた真っ暗な空を思い出すことがある。その度に当時の自分がかわいそうに思えて胸がキュっとなると同時に、あれを乗り越えた私なんだから今も大丈夫と、この頃はそう思えるようになりつつある。

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