ハワイの空港にて

ホノルルの空港のスポーツバーで、キンキンに冷えたビールを飲みながらこれを書いている。

5日間の休みが取れるかどうかギリギリまでわからなかったけど、何となく目星をつけていた出発日の2日前に「どうやらこのままいけば休めそうだ」と確信し、慌ててエアーとホテルを予約した。直前の予約にしては安い航空券があり、更には前に泊まってとても快適だったホテルが、今は訳アリなせいか結構なディスカウント価格で出ていた。その訳アリとは現大統領のホテルで、ちょうどニュースで炎上していたこともあってか(いつもだけど)当然アメリカ人宿泊客はほとんどいなくてアジア人ばかりだった。タクシーの運転手さんにも「トランプホテルなんか泊まるの(笑)?!」と揶揄されたし、もちろん私も彼のことは嫌いだけど、それとお得な料金とはまた別の話だ。(実際部屋もサービスもとても良い)

 

ハワイは4度目くらいだが、今回の旅はとりわけ穏やかに過ごした。

初めてハワイに行ったのは学生の頃だ。母方の親戚一同で祖母も連れてハワイに行こうという事になった。母(当時50歳前後)がワイキキの海で溺れそうになって現地のライフガードに助けられたり、いとこのお兄ちゃんが飲み過ぎてホテルの部屋でぶっ倒れたり、私がバドガールみたいなセクシー服を着て行ったために空港で厳しく荷物検査を受けたり(まあそれが原因てわけでもないんだろうけど)と、今考えるととんだ珍道中だったと笑ってしまう。

まだ海外旅行というものに大きなトキメキを感じていた頃で、空港に到着した時にワクワクしたのを覚えているし、パラセーリングを楽しんだり、姉といとこと水着で浮かれた写真を撮ったり、朝ABCストアでオレンジジュースとサラダを買ってハワイの生暖かい風に吹かれながら食べるだけでも感動できた。写真を見返すまでもなく、どこに行って何に感動してどんな会話をしたか、今でも記憶に残っている。

 

それが今回の旅では、自分でもびっくりするほど感情の波が“凪”状態だった。仕事も含め海外経験が格段に増えたこともあり、まずトラブルが何も起きない。旅慣れて用意周到になり、物事にも動じなくなると、旅先でも淡々と時が過ぎていく。「非日常感」というのは休暇に旅をする上でとても大切な要素だと思うのだがそれを感じる神経がマヒしてしまっているようだ。

年を重ねるにつれて感受性が鈍くなる、という話は前にもしたと思うけど、特に35を超えた辺りから昔と比べて新しい本や映画や音楽に触れても心を動かされることが少なくなったという実感がある。

と、ここまで書いて帰国したところに、Twitterのタイムラインに「ほとんどの人は30歳になるまでに新しい音楽を探さなくなる(出典amass.jp)」という記事が流れてきた。記事によると、“人は年を取るにつれて…(中略)昔の曲やジャンルを何度も繰り返し聴く「音楽的無気力」とも言える現象が起き”るのだそうだ。

 

それで言うと、今の私は音楽だけでなく本や映画に対しても無気力期を迎えているし、恋愛に関しても同じだ。10代から30代前半までは常に胸が苦しくなるほど好きな人がいて「私、一生こんなにキュンキュンし続けたら身体がもたない」と不安に思うくらいの恋愛体質だったが、ここ7~8年ぐらいは胸が苦しくなるほど好きになった人など一人もいない。時々、「もうこのまま誰かを狂おしいほど好きになったり、他人をどうしようもなく愛おしく想うことなく一生を終えていくのかな」とふと寂しい気持ちになる。

 

40過ぎにもなってティーンエイジャーみたいな繊細な感性を持っていたら生きづらくてしょうがないと思うけど、見聞きするもの全てに心が動かされたあの頃を懐かしく思い出してしまう。歳を重ね、人生経験を積んで、人間として熟成していくのは決して悪くない。ただ、時々自分の経験則を取っ払ってもっと無邪気に物事を楽しむことができたら、年々色褪せつつある日常の風景も少し彩を取り戻すのではないかと思うのだ。

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