色んな美味しい料理のこと

  仕事のスランプを迎えていて色々思うところを吐き出そうと書き始めたのだけど、世の中がこんな風に薄暗いご時世だから、何か楽しいことについて書くことにした。

 

 

 昨日、Twitterハッシュタグで「#いいねの数だけ好きなモノを暴露する」というのがあって、自分の好きなものは何だろうと思いを巡らせていたら、食べ物ばかり思い浮かぶことに気付いた。私は毎食「できるだけ美味しいものを食べたい!」と常に思っている食いしん坊だ。食べるだけでなく、料理風景を見てその食材の変化に注目したり「どんな味かな?」と想像したりするのがとても好きなので、料理番組や食べ歩き番組はもちろん、料理がテーマの小説やドラマを好んで手に取ることが多い。料理の腕前は中途半端だけど(笑)作るのも好きだし、都内の美味しいお店は結構詳しい方だと思う。旅をする時もその土地の美味しいものと美味しいお店をまず詳しく調べる。

 

 私がこんな風に食いしん坊になったひとつの理由は、小さい頃から母が家であれこれ作ってくれたことが大きいと思う。時々このブログにも書いているが、酒呑みの父の好みに合わせた大人っぽい料理が食卓に並ぶことも多かったし、友達が来たら(当時にしては)ハイカラなおやつを作ってくれたりして、私は母が料理をする姿も作る料理も大好きだった。だから大人になってから母が「実はレパートリーはそんなになかったし、ひき肉とカレーとホワイトソースがあまり好きじゃないから定番料理はあまり作らなかった」と告白してきた時はびっくりした。でも確かに今思い返してみると、ハンバーグやミートソース、グラタン、カレーなどの子どもが大好きな料理の登場回数は極端に少なかったかもしれない。これらは食卓に並ばずとも本能的に(?)好きだから今では自由に食べているけど。

 

 母の手料理で特に好きなのは、甘辛いお揚げとたっぷり具材の五目いなり、鶏手羽のから揚げとなすピーマンの素揚げをニンニクしょうが醤油で和えたもの、子持ちガレイの煮つけ、にんじんとごぼうを太めの拍子木切りにして唐辛子と砂糖をガツンと効かせたきんぴらごぼう、夏場はほぼ毎日副菜として食卓に上がるなすのしょうが焼きなどだ。これらは帰省する時に母から「リクエストある?」と言われて姉か私が必ずリクエストするメニューでもあるが、最近では70半ばになった母の味付けが昔よりぼんやりしてしまっている事に寂しさを感じることも多い。江戸っ子の母が作る“おふくろの味”は全体的にしょうゆ、みりん、砂糖を使った濃い目の味だったが、今は父の血圧を気にして薄味にしているせいもあるかもしれない。

 

 大人になってカナダに住み始めると、スーパーのラインナップをとても新鮮に感じ、スーパーに行く度にテンションが上がっていた。食パンと言えば小ぶりの正方形が定番だったり、鶏肉がバーベキュー用の巨大サイズで売っていたり、サラダ野菜コーナーはカット野菜がむき出しで並べられていて常に自動で霧吹きされていたり(今でこそどれもコストコとか成城石井とかで一般的になっているけど)、当時の私にとってはその食材の売り方ひとつもやたら興味深かった。トロント最大の生鮮市場の近くに住んでいたので週末は市場へ行って新鮮なロブスターや魚、バケツ売りで500円ぐらいのムール貝などをよく買って料理した(これらのダイナミックな料理は主に元夫が担当)。

 

 そのトロントは世界有数の多民族都市なので、外食のレパートリーも本当に豊かだった。中華街はもちろん、ギリシャ、イタリア、ベトナム、韓国それぞれの移民がつくった街が中心部から地下鉄で10分20分のところにあって、その日の気分であらゆる国の料理を食べに行くことが出来た。それらの街にあるお店はその国出身の移民がやっている事が多く、かなりオーセンティックでレベルの高いお店が多かった。中華やイタリアンは日本でもよく食べていたが、本格的なギリシャ料理ベトナム料理の美味しさはトロント時代に覚えたのだと思う。また韓国系の友人が多かったので韓国の家庭料理の作り方も一通り教えてもらったりして、私の食生活の幅は一気に広がった。

  日本の食材は韓国人街にあるスーパーに行けば手に入った。西海岸と違って日本人人口も少ないし食材の流通も少なかったが定期的に食べたくなるので、かなり割高な白米、納豆(冷凍)、しょうゆ、海苔、薄切り肉(カナダのスーパーで肉を薄切りで売っていることはほぼない)などを買って常備していた。一度どうしてもみょうがが食べたくなって探したら、日本語のローカル紙に「みょうがを育てています」という日本人の方がいて、連絡して分けてもらったこともある。

 帰国後のひとり暮らしでは専らおつまみを専門に作っている。料理番組や本や酒場で食べた料理を参考に、適当にアレンジして自分好みのものを作り晩酌するのが日々の楽しみだ。最近よく作るのはキャベツ千切りと豆苗粗みじんにひき肉をピリ辛に炒めて乗せたものや、芽キャベツを焦げ目がつくまで素揚げして塩を大胆に振ったものなど。食べたい野菜と鶏手羽をぶち込んでポン酢で食べるお鍋もしょっちゅうやる。ひとり分を作るのはコスパが悪いので、2人ぶんくらいを作って残りは卵でとじたりしてご飯や麺と組み合わせて翌日の朝食やランチにするのがルーティーンだ。大抵の残りものは卵でとじれば美味しい。「残りものの卵とじランチ」みたいな料理本を出したいくらいだ。

 

  こんな感じで食事というものは私の日々の生活の中で大きなウエイトを占める。だから食べ物にあまり興味がない人や無頓着な人とは何となく価値観が合わないなと思うし、食べ物を粗末にしたりマナーが悪い人にはあまり良くない印象を抱いてしまう。

 そして中年(初老?)になった今、日々温かくて美味しいものを食べられることの贅沢さをかみしめるようになったし、だからこそ美味しいものを美味しいと感じられる心身の健康を保つことが人生を豊かにするための大切な事のひとつだと思うのだ。f:id:shiofukin:20200312232131j:image