ネコと旅とラフロイグ

しおちゃんの備忘録

大停電の夜のこと

 夏の暑い日に自宅で仕事をしていると思い出す出来事がある。2003年8月にアメリカとカナダで起きた大停電だ。

 その日の午後、私はトロントの自宅で仕事をしていた。何となく蒸し暑いなと思いセントラルヒーティングの吹き出し口をチェックすると冷風が出ていない。「故障かな?」と思いつつ何か飲もうと冷蔵庫を開けると庫内の明かりがつかない。咄嗟にリモコンを取りあげるがテレビもつかない。そこで停電という考えが浮かんだ私はとりあえず外の様子を見てみようと玄関を出た。止まっているエレベーターを横目に階段を降りると、目の前の道路の信号機が止まっていて、携帯を手にした人々が小走りで道を行きかっていた。比較的ゆっくり歩く女性を呼び止めて「停電ですか?」と訊くと彼女は「そうみたい。携帯も繋がらないし地下鉄やバスも止まってるわよ」と教えてくれた。

 私はそのままアパートメントの1階にあるテイクアウト店に寄り、知り合いの店主と「停電大変だね」「数時間で復旧するかな」「暑いね」なんていう会話を交わし、彼がこのままでは傷んじゃうからと分けてくれたテイクアウトのラザニアを持って部屋に戻った。

 

 カナダは夏も涼しいと思われがちだがトロントの夏は蒸し暑く、8月には30度を超えることも何度かある。私はぬるくなりつつある部屋の窓を全開にし、当時3匹いたネコたちのために飲み水をたっぷり用意した。夜まで回復しない場合に備えて一応ライトとキャンドルもテーブルの上に出した。車で40分ほどの職場にいる夫に連絡を取ろうにも電話が繋がらないのでとりあえずパソコンの充電の残りで出来る仕事を済ませ、貰ったラザニアを食べた。

 夜7時頃になっても電気が復活する様子がなく少し不安になったので、駅の方まで行ってみる事にした。徒歩10分の駅の周りのオフィス街は帰宅難民になった人たちで混雑していた。警官が交通整理をする交差点はノロノロ運転の車で渋滞しており、数少ない公衆電話の前には行列が出来ていた。地下鉄もバスも路面電車も止まっているようで、自家用車が道に溢れる人たちの前に止まり「〇〇方面に行く人!」と言って数人が譲り合いながら車に乗り込む様子も見られた(おそらくこれは治安の良いオフィス街だから見られた光景だと思う)。

 これは思ったより大規模そうだと思った私は飲み物とパンを買い、来た道を戻った。すると自宅の目の前にあるブリティッシュパブが、ビール片手に談笑する人たちでごった返しているのが見えた。私は自宅に荷物を置いて夫にパブにいる旨のメモを残すと早速そのパブに向かった。しんとした真っ暗な部屋でひとりで過ごすのは嫌だった。

 

 「冷えてないけどビールはたっぷりあります」とか「安全上の理由でフードは作れません」などの手書きの紙が貼られた店内の、ひとつだけ空いたカウンター席に座るとTシャツを腕まくりした汗だくの店員が注文を聞いてきた。生ビールをパイントで注文し携帯をチェックするとやっと繋がったらしい夫から「車で帰れそうもないから職場の近くの同僚の家に泊めてもらう」と留守電が入っていた。

 熱気のある店内でぬるいビールを飲みながら「明日以降も停電が続いたら冷蔵庫の中身どうしようかな」などと考えていると隣の男性が「ご近所ですか?」と話し掛けてきた。”夫の”帰宅を待つ間にちょっと呑もうと思ってとけん制しながら返答すると、彼も今日は彼女と会えないし家にいてもやることがないので呑みに出てきたと言った。悪気のなさそうな人だったので、停電にいつ気づいたかとか好きな音楽はとかネコ飼っててとか、互いに暇つぶしのようにとりとめのない話をした。

 

 しばらくすると外は暗くなり(真夏は日没が夜9時ごろ)いつの間にか店内にはありったけのろうそくが灯されていた。ぼうっと照らされたざわつく店内で汗だくになってビールを呑んでいるうちに、この空間が現実のものではないような不思議な感覚におちいった。そろそろ潮時だと思った私が会計を済ませると隣の男性も会計をし、私たちは一緒に店を出た。目の前の建物が自宅だと知られたくないので「コンビニに寄るから」と言うと「そこまで送るよ」と言って信号機も看板の明かりも消えた真っ暗な歩道を何となく並んで歩き始めた。5分ほどで非常灯のともるコンビニに到着すると、店の前で立ち止まった彼と3秒ほど無言で目が合った。そして次の瞬間に同時に「じゃあここで」と言ってぎこちない挨拶を交わし、私は店内に、彼は反対方向へ歩いていった。

 彼との会話の中には男女を匂わすようなものは皆無だったしお互いそんな気はなかったと思う。ただあの蒸し暑い真夏の夜に短い時間を過ごした事が、非常時の不安感と相まって親近感を抱かせ、一瞬だけ別れ難い気持ちがよぎったのではないかと思う。

 停電は翌日の夜まで続いた。そして連絡先も交換していない、名前も顔もよく覚えていないその男性とは、その後一度も近所で遭遇することはなかった。

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「おうち時間」のこと

もともと出不精で用事がない限り一日中家にいることがほとんどなので、コロナ後のライフスタイルという面で言うとかなり変化は少ない方だと思う。会社員時代と違って、独立してからは打ち合わせや会議以外はほとんど在宅で仕事が出来るようになっていたのも大きい。

手洗いとかソーシャルディスタンスとか、未来に対する不安という点ではもちろん大きな変化を感じているけど、日々の生活だけを取ってみるとほとんど無理なく過ごすことができている。それは今の状況下では恵まれていることなのだろうし、自粛中も通勤したり人と接しなければならない人たちに迷惑をかけないためにも普段以上に外に出ないようにして過ごしている。

 

コロナの影響で仕事がいくつかキャンセルになり、対面での打ち合わせや会議もなくなって数か月が経つ。友人と食事に行く代わりにZoom呑みを覚え、ネットで買い物や宅配を頼みドア前に置き配してもらう。美容院やマッサージなどの自分メンテは誰とも会わない生活の中では必要がなくなった。

お子さんがいるご家庭の大変さは別格として、普段アクティブな人たちにとってStay Homeというのはひどく苦痛なことのようで、メディアやSNSでも連日「いかに退屈しないでおうち時間を過ごすか」のアイデアが紹介されている。それらを見ていると、コロナ前も後も変わらず「おうち時間」を淡々と過ごしている自分の孤独なライフスタイルが浮き彫りにされてくるような気がしてふいに焦燥感にかられる時がある。

 

毎朝起きてメイクもおしゃれもせずオンライン上で仕事を済ませ、近所のスーパーで買ってきた食材でおつまみを作ってテレビや映画を見たりネコ達と遊びながら呑んで、眠くなったらラジオを聴きながら寝る。楽しみにしているビッグイベントもなければ、お互い声を掛け合うような親友や存在を思うだけでホッとするようなパートナーもいない。コロナ前から仕事上も転機を感じて受け身で仕事をしているため、緊張して眠れないようなチャレンジングな仕事も抱えていない。

コロナを機に刻々と変わっていく世の中の動きがきっかけで今の自分の状況を変えられるのではないかという希望は、いつの間にか「変えなければいけないのにそれが出来ていない」ことへの焦りに変わっていく。自分の将来についていつも以上に考えているのに、答えからはますます遠ざかっていく。

 

コロナのことは心配だし悲しい出来事や嫌な出来事も見聞きした。早く収束してのびのびと生活出来る世の中に戻って欲しいと切に願う。

ただ、それとは全く別のところで、世の中が通常に戻った時にもう無邪気に「おうち時間」を楽しめなくなっている自分が、これから一体どんな希望を持って生きていけるのか、つい不安に思ってしまうのだ。

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色んな美味しい料理のこと

  仕事のスランプを迎えていて色々思うところを吐き出そうと書き始めたのだけど、世の中がこんな風に薄暗いご時世だから、何か楽しいことについて書くことにした。

 

 

 昨日、Twitterハッシュタグで「#いいねの数だけ好きなモノを暴露する」というのがあって、自分の好きなものは何だろうと思いを巡らせていたら、食べ物ばかり思い浮かぶことに気付いた。私は毎食「できるだけ美味しいものを食べたい!」と常に思っている食いしん坊だ。食べるだけでなく、料理風景を見てその食材の変化に注目したり「どんな味かな?」と想像したりするのがとても好きなので、料理番組や食べ歩き番組はもちろん、料理がテーマの小説やドラマを好んで手に取ることが多い。料理の腕前は中途半端だけど(笑)作るのも好きだし、都内の美味しいお店は結構詳しい方だと思う。旅をする時もその土地の美味しいものと美味しいお店をまず詳しく調べる。

 

 私がこんな風に食いしん坊になったひとつの理由は、小さい頃から母が家であれこれ作ってくれたことが大きいと思う。時々このブログにも書いているが、酒呑みの父の好みに合わせた大人っぽい料理が食卓に並ぶことも多かったし、友達が来たら(当時にしては)ハイカラなおやつを作ってくれたりして、私は母が料理をする姿も作る料理も大好きだった。だから大人になってから母が「実はレパートリーはそんなになかったし、ひき肉とカレーとホワイトソースがあまり好きじゃないから定番料理はあまり作らなかった」と告白してきた時はびっくりした。でも確かに今思い返してみると、ハンバーグやミートソース、グラタン、カレーなどの子どもが大好きな料理の登場回数は極端に少なかったかもしれない。これらは食卓に並ばずとも本能的に(?)好きだから今では自由に食べているけど。

 

 母の手料理で特に好きなのは、甘辛いお揚げとたっぷり具材の五目いなり、鶏手羽のから揚げとなすピーマンの素揚げをニンニクしょうが醤油で和えたもの、子持ちガレイの煮つけ、にんじんとごぼうを太めの拍子木切りにして唐辛子と砂糖をガツンと効かせたきんぴらごぼう、夏場はほぼ毎日副菜として食卓に上がるなすのしょうが焼きなどだ。これらは帰省する時に母から「リクエストある?」と言われて姉か私が必ずリクエストするメニューでもあるが、最近では70半ばになった母の味付けが昔よりぼんやりしてしまっている事に寂しさを感じることも多い。江戸っ子の母が作る“おふくろの味”は全体的にしょうゆ、みりん、砂糖を使った濃い目の味だったが、今は父の血圧を気にして薄味にしているせいもあるかもしれない。

 

 大人になってカナダに住み始めると、スーパーのラインナップをとても新鮮に感じ、スーパーに行く度にテンションが上がっていた。食パンと言えば小ぶりの正方形が定番だったり、鶏肉がバーベキュー用の巨大サイズで売っていたり、サラダ野菜コーナーはカット野菜がむき出しで並べられていて常に自動で霧吹きされていたり(今でこそどれもコストコとか成城石井とかで一般的になっているけど)、当時の私にとってはその食材の売り方ひとつもやたら興味深かった。トロント最大の生鮮市場の近くに住んでいたので週末は市場へ行って新鮮なロブスターや魚、バケツ売りで500円ぐらいのムール貝などをよく買って料理した(これらのダイナミックな料理は主に元夫が担当)。

 

 そのトロントは世界有数の多民族都市なので、外食のレパートリーも本当に豊かだった。中華街はもちろん、ギリシャ、イタリア、ベトナム、韓国それぞれの移民がつくった街が中心部から地下鉄で10分20分のところにあって、その日の気分であらゆる国の料理を食べに行くことが出来た。それらの街にあるお店はその国出身の移民がやっている事が多く、かなりオーセンティックでレベルの高いお店が多かった。中華やイタリアンは日本でもよく食べていたが、本格的なギリシャ料理ベトナム料理の美味しさはトロント時代に覚えたのだと思う。また韓国系の友人が多かったので韓国の家庭料理の作り方も一通り教えてもらったりして、私の食生活の幅は一気に広がった。

  日本の食材は韓国人街にあるスーパーに行けば手に入った。西海岸と違って日本人人口も少ないし食材の流通も少なかったが定期的に食べたくなるので、かなり割高な白米、納豆(冷凍)、しょうゆ、海苔、薄切り肉(カナダのスーパーで肉を薄切りで売っていることはほぼない)などを買って常備していた。一度どうしてもみょうがが食べたくなって探したら、日本語のローカル紙に「みょうがを育てています」という日本人の方がいて、連絡して分けてもらったこともある。

 帰国後のひとり暮らしでは専らおつまみを専門に作っている。料理番組や本や酒場で食べた料理を参考に、適当にアレンジして自分好みのものを作り晩酌するのが日々の楽しみだ。最近よく作るのはキャベツ千切りと豆苗粗みじんにひき肉をピリ辛に炒めて乗せたものや、芽キャベツを焦げ目がつくまで素揚げして塩を大胆に振ったものなど。食べたい野菜と鶏手羽をぶち込んでポン酢で食べるお鍋もしょっちゅうやる。ひとり分を作るのはコスパが悪いので、2人ぶんくらいを作って残りは卵でとじたりしてご飯や麺と組み合わせて翌日の朝食やランチにするのがルーティーンだ。大抵の残りものは卵でとじれば美味しい。「残りものの卵とじランチ」みたいな料理本を出したいくらいだ。

 

  こんな感じで食事というものは私の日々の生活の中で大きなウエイトを占める。だから食べ物にあまり興味がない人や無頓着な人とは何となく価値観が合わないなと思うし、食べ物を粗末にしたりマナーが悪い人にはあまり良くない印象を抱いてしまう。

 そして中年(初老?)になった今、日々温かくて美味しいものを食べられることの贅沢さをかみしめるようになったし、だからこそ美味しいものを美味しいと感じられる心身の健康を保つことが人生を豊かにするための大切な事のひとつだと思うのだ。f:id:shiofukin:20200312232131j:image

心の病のこと

911アメリ同時多発テロが起きた事は、私の人生に思いもよらぬ影響をもたらした。

とは言っても私は当時カナダに住んでいて、直接巻き込まれた訳ではなく、あくまで安全なところから怖がっていたというだけの話なので他人からしたら何をオーバーな、という感じだと思う。

 

2001年、27歳の私は結婚3年目の夫と2匹の猫と、古いアパートメントを自分たちでリノベした居心地の良い部屋に住んでいた。こちらに越して来てからしばらく続けていた在宅の仕事も辞め、専業主婦としてヒマを持て余していた私は、一人で買い物をしたり、家でクッキングチャンネルをひたすら見たり、数人いる主婦友達と時々外食したりして、自由だけど刺激のない日々を過ごしていた。よくある話だが世間から取り残された焦燥感からストレスが溜まり、夫とよくケンカをするようになっていた。

 

9月11日は夫を仕事に送りだした後、友達とカフェでお茶をしながらとりとめのない話をしていたと思う。朝のニュースでNYの航空事故のことは知っていたけど、その時点では当然カナダに住む自分の生活への影響などは全く考えていなかった。

ところが午後になって「どうやら事故ではなく大規模テロの可能性がある」という話を耳にした私たちは、とりあえず帰宅した方が良さそうだという事で、予定していた買い物をやめて地下鉄でそれぞれ帰宅した。それからテレビのニュースに釘づけになり、このテロ事件の深刻さがみるみる増していく様をリアルタイムで見ていた。

しばらくするとカナダの都市部も狙われる可能性があるということ、また地理的にテロ犯の逃亡先になる可能性があるということで空港、地下鉄駅、主な観光スポットが全面封鎖された。

 

夕方には夫も職場から早めに帰宅し、「怖いね」なんて言いながら簡単な夕食を食べていた。

テレビ画面に大きく映し出されたツインタワーと、そこに飛行機が飛び込んでいく様を何度も繰り返し見ているうちに、私は急にご飯を飲みこむ事が出来なくなり、息苦しく、血の気が引いて冷や汗がどっと噴き出てくるのを感じた。「体調が悪いから横になる」と言って私は早々にベッドに入った。なかなか動悸と冷や汗はおさまらなかった。

 

翌朝夫を見送った後、家で独りでいるのが心細く不安になり、とにかく誰かにすがりたいような衝動に駆られて、部屋着にサンダルを引っかけて徒歩5分ほどの場所にあるクリニックに駆け込んだ。

そもそも自分が病気なのか? この何とも言えない感情をどうやって医者に説明したらいいのか? 不安はあったがとりあえず昨夜からのザワザワする気持ちを出来る限り説明した。話しながら涙が出て止まらなかった。すると若い男性医師は「昨日のショッキングな事件のせいで、心を痛めている人がたくさんいます」と穏やかに言って、薬を処方してくれた。私が陥ったのは「Anxiety Attack(不安発作)」とのことだった。

 

私はこの正体不明の精神状態には病名があること、先生にそれを理解してもらえたこと、他にも同じような症状の人がいる事を知り心底ホッとした。対処療法と治療薬の両方出してくれていたので、その日から幸い不安感はだいぶおさまった。後になって考えると911の事件はあくまでも症状のトリガーになっただけで、当時の結婚生活で抱えていた様々な問題が根本の原因だったのだと思う。

しばらくして症状は治まったが、数年後に夫と別居し離婚問題に直面する頃に再発し悪化していった。その頃は何を食べても味がせずボソボソに感じるだけで食事ものどを通らず、あっという間に7キロほど痩せた。そして会う人ごとに「痩せた?」と言われるのがひどく苦痛になり、そう言われる度に「自分はこのままどうにかなってしまうのではないか」という不安に駆られるようになった。別居が決まりひとりで帰国した時はあまりに痩せていたので父にひどく心配された。母は心の病に理解のある人だったので相談していたが、父はそういうのを「気の持ちよう」と言うタイプの人なので言わなかった。

 

離婚成立後はだいぶ安定し、体重も戻り(というかもはや増え)日常生活には全く支障がないような状況だが、約15年が経った今でも心療内科のお世話になっている。時期によって薬を減らしたりということはあるものの、仕事やプライベートで大きな悩みやプレッシャーを感じた時などに発作を起こすことが年に数回ほどあり、もう一生付き合っていくものなんだろうなと開き直っている。きっかけは911の事件だったけど、その後離婚問題などを経てそのまま持病として定着していったという感覚がある。それは元夫とのいざこざのせいだけではなく、私自身の心の弱さや完璧主義的な考え方、生来の悲観的な性格などによる部分も大きいのだと思う。

 

持病があるなどと友人に話すと気を遣わせてしまいそうだから自分からはあまり言わないようにしているが、私自身は自分がずっと心療内科のお世話になっている事自体には何の抵抗もなく、話の流れによっては割とおおっぴらに話している。特に最近は世間の理解もあるし、周りにも何らかの問題を抱えている人は少なくない。親しい友人や会社の後輩などが意を決して「最近どうも気持ちが落ち込む」とか「何に対してもやる気が起きない」などの相談をしてきた時は、「わかる、私も実はこういう経験があって・・・」という話をすると、それだけでホッとしてもらえることも多い。もちろん私は専門家でも何でもないから、そこから治療を受けるかどうかはそれぞれの状況や意志によるものだけど、私自身がそうであったように、この何となくのモヤモヤには名前があって同じような感覚を経験した人が身近にもいると知るだけで少しは気が楽になるのではないかと思う。

 

四十も半ばに差し掛かり、これからますます将来への不安、健康面の問題に直面していくことを考えると、生きていくこと自体がとても難儀なものに思えることがある。子どもの頃思い描いていた未来と比べて今の自分がひどく色褪せて感じられることもあれば、日々の小さな愉しみに幸せな気持ちになることもある。こうして一喜一憂を繰り返しながら目の前の日常をこなしていくうちに人生が進んでいくというのは案外幸せなことなのだろうけど、まだこの先に自分の人生が大きな輝きを放つチャンスがいくつか残されていることをつい願ってしまう。

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独身でいること

 もう何年も恋愛をしていない。40も半ばに差し掛かると、大人らしく「恋愛というより安心感のあるパートナー的な関係性」という方が主流なのかもしれないけど、私の恋愛観が幼稚なせいか、後にパートナーになる相手だとしてもやっぱり初めはときめいたりエロい気持ちになったりしたいと思ってしまう。

 30代後半ぐらいに、知人たちに独身男性を次々と紹介してもらってデートしてみた時期があった。「こんないい人がよく独身でいたな」と思うほど素敵な人もいた。でも初めから「この人と恋愛できるかな、一緒に暮らせるかな」と考え過ぎてついつい減点法で相手を見てしまい結局誰とも続かなかった。この時期に、昔ちょっとだけ付き合っていた男友達に何年ぶりかに呼びだされ「海外赴任についてきて欲しい」とプロポーズされたこともあったが、交際4か月で国際結婚した挙句離婚した経験のある私には、突然のプロポーズに身をゆだねるほどの勇気も体力ももう無かった。

 そんなことがあってから、一応ひと通りの事はやるだけやったという気持ちも手伝って積極的に再婚相手を探すことをすっぱりやめた。当たり前の事だけど、40過ぎて受け身で過ごしている女にそうそう出会いなんかやってこない。いつもの酒場の顔見知りと突発的な関係になったり、仕事で知り合った男性と何となく数回ご飯なんか食べに行ってフェードアウトしたり、元彼と久々に会ってみたりの繰り返しで、いわゆる大人の女性がすべきまともな(安定した)恋愛とは無縁な生活を送っている。

 20代の自分が一体どんな40代の恋愛事情を想像していたかはよく覚えていないけど、今のようなものではなかったことだけは確かだ。20代の私はきっと、40代なんてもう恋愛からはとっくに卒業して、夫と老後の計画を立てているだろうくらいに思っていたのだろう。そして実際の私は、夫とではないけれど、ひとりで老後をどうやって過ごそうかという方向に思考がシフトしてきている。仕事が大変だったり身内の悩み事があったりプライベートが寂しすぎたりして、やっぱり支え合うパートナーがいたらいいのにと思う事も少なくないけど、まだギリギリ独り身の気楽さと自由さがそれを上回っている。また、最低限の幸せな結婚生活というものを一度は手に入れかけて失敗した自分が、今後またそれを手にすることが出来るとは到底思えないというのもある。

 あくまでも私の肌感覚なのだが、ここ数年で人の生き方に対する世間の許容範囲がぐんと広がったのを感じる。手垢のついた言い方かもしれないけど、大企業に就職して安定しろとか、30過ぎて独身はおかしいとか、結婚してるのに子どもを産まないのかとか、同性愛は認めないとか、そういう事を声高に言う人たちが「前時代的」とされるようになり、そこに当てはまらない生き方をする事が(少なくとも都市部では)以前ほど息苦しくなくなってきているという実感がある。少子高齢化もあり、好むと好まざるとに関わらず、親世代と比べて独りで老後を迎える人たちも格段に増えて社会の受け皿も変化していくだろうし、健康とお金さえ大切にしていれば”自分だけがものすごく孤独”という事態は避けられるのではないかと少し楽観視もしていたりする。(その健康とお金の維持が一番難しいんだけど。)

 そうやってこのまま独身でいる事に対して自分なりに折り合いをつけて日々過ごしているのだけど、人ごみの中で同年代の夫婦やカップルとすれ違うたびに「どうして自分には大多数の人たちが当たり前に出来ている事が出来ないんだろう」というコンプレックスのようなものをうっすらと感じてしまうのだけは、どうしても止められないのだ。

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ハワイの空港にて

ホノルルの空港のスポーツバーで、キンキンに冷えたビールを飲みながらこれを書いている。

5日間の休みが取れるかどうかギリギリまでわからなかったけど、何となく目星をつけていた出発日の2日前に「どうやらこのままいけば休めそうだ」と確信し、慌ててエアーとホテルを予約した。直前の予約にしては安い航空券があり、更には前に泊まってとても快適だったホテルが、今は訳アリなせいか結構なディスカウント価格で出ていた。その訳アリとは現大統領のホテルで、ちょうどニュースで炎上していたこともあってか(いつもだけど)当然アメリカ人宿泊客はほとんどいなくてアジア人ばかりだった。タクシーの運転手さんにも「トランプホテルなんか泊まるの(笑)?!」と揶揄されたし、もちろん私も彼のことは嫌いだけど、それとお得な料金とはまた別の話だ。(実際部屋もサービスもとても良い)

 

ハワイは4度目くらいだが、今回の旅はとりわけ穏やかに過ごした。

初めてハワイに行ったのは学生の頃だ。母方の親戚一同で祖母も連れてハワイに行こうという事になった。母(当時50歳前後)がワイキキの海で溺れそうになって現地のライフガードに助けられたり、いとこのお兄ちゃんが飲み過ぎてホテルの部屋でぶっ倒れたり、私がバドガールみたいなセクシー服を着て行ったために空港で厳しく荷物検査を受けたり(まあそれが原因てわけでもないんだろうけど)と、今考えるととんだ珍道中だったと笑ってしまう。

まだ海外旅行というものに大きなトキメキを感じていた頃で、空港に到着した時にワクワクしたのを覚えているし、パラセーリングを楽しんだり、姉といとこと水着で浮かれた写真を撮ったり、朝ABCストアでオレンジジュースとサラダを買ってハワイの生暖かい風に吹かれながら食べるだけでも感動できた。写真を見返すまでもなく、どこに行って何に感動してどんな会話をしたか、今でも記憶に残っている。

 

それが今回の旅では、自分でもびっくりするほど感情の波が“凪”状態だった。仕事も含め海外経験が格段に増えたこともあり、まずトラブルが何も起きない。旅慣れて用意周到になり、物事にも動じなくなると、旅先でも淡々と時が過ぎていく。「非日常感」というのは休暇に旅をする上でとても大切な要素だと思うのだがそれを感じる神経がマヒしてしまっているようだ。

年を重ねるにつれて感受性が鈍くなる、という話は前にもしたと思うけど、特に35を超えた辺りから昔と比べて新しい本や映画や音楽に触れても心を動かされることが少なくなったという実感がある。

と、ここまで書いて帰国したところに、Twitterのタイムラインに「ほとんどの人は30歳になるまでに新しい音楽を探さなくなる(出典amass.jp)」という記事が流れてきた。記事によると、“人は年を取るにつれて…(中略)昔の曲やジャンルを何度も繰り返し聴く「音楽的無気力」とも言える現象が起き”るのだそうだ。

 

それで言うと、今の私は音楽だけでなく本や映画に対しても無気力期を迎えているし、恋愛に関しても同じだ。10代から30代前半までは常に胸が苦しくなるほど好きな人がいて「私、一生こんなにキュンキュンし続けたら身体がもたない」と不安に思うくらいの恋愛体質だったが、ここ7~8年ぐらいは胸が苦しくなるほど好きになった人など一人もいない。時々、「もうこのまま誰かを狂おしいほど好きになったり、他人をどうしようもなく愛おしく想うことなく一生を終えていくのかな」とふと寂しい気持ちになる。

 

40過ぎにもなってティーンエイジャーみたいな繊細な感性を持っていたら生きづらくてしょうがないと思うけど、見聞きするもの全てに心が動かされたあの頃を懐かしく思い出してしまう。歳を重ね、人生経験を積んで、人間として熟成していくのは決して悪くない。ただ、時々自分の経験則を取っ払ってもっと無邪気に物事を楽しむことができたら、年々色褪せつつある日常の風景も少し彩を取り戻すのではないかと思うのだ。

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「親友」のこと

友達がたくさんいた方が楽しい、などという考えは元々持っていないけど、最近は数少ない友人とすら定期的に連絡を取るのが億劫になりつつある。15年来の仲で1~2か月に一度は食事をしながら近況報告をするのが当たり前になっていた女友達にも、私から連絡すると言ったまま4か月ほど連絡をしていない。彼女も私に何らかの心境の変化があったのだとおそらく察していて、そこの説明をしなければならない事を考えると連絡を取るのが更に億劫になってしまう。

 

少なくとも表面的には社交的なタイプで、男女問わず気になる人がいると「どんな人なのかもっと知りたい」という気持ちが湧いてくるので、仕事などで知り合った人を私から食事に誘ってみたりすることは割と多い。そこから意気投合して時々飲みに行ったり、何かイベント事があると声を掛け合ったりする仲になったりもするが、人間関係に対してマメな方ではないので、一定期間を過ぎるとだんだんと受け身になっていき、そのうち疎遠になってしまう。そういう“知人”はたくさんいて、むしろそのくらいの距離感の人とは「ふと思いだして連絡してみたんだけど今日空いてないよね…?」みたいな事で久々に誘ったり誘われたりしてまた関係がアップデートされると、こういう関係もいいなと心地よく感じたりする。

 

“知人”のパターンとしてもう一つよくあるのが、酒場のスタッフや常連客との関係だ。私は引っ越しをする度に近所の良い酒場を異常な嗅覚で見つけ出し、そこへ夜な夜な独りで呑みに行くというのを趣味にしているのだけど、気に行ったお店のスタッフや話の合う常連客と連絡先を交換しても、店外で会うことはほぼない。

お店が休みの日にスタッフと客でバーベキューとか忘年会などやっていてもまず行かないし、「今度ご飯行こうよ」などと誘われてもはぐらかすことがほとんどだ。それは私にとって酒場というのが「自分の行きたいときに行って帰りたい時に帰ることができる」便利な社交場であり、その場にいる登場人物と他の場所で会ってしまうと、この特別な空間における人間関係のバランスみたいなものが崩れてしまうように感じるからだ。こう言うと非常に利己的に聞こえるかもしれないけど(実際まあそうなのだけど)、酒場での人間関係は酒場で完結させておいた方が色々と物事がスムーズにいくし、気に行ったお店に通い続けるためにもそれが賢明な選択なのだと、独り呑み歴13年の経験から感じている。

という訳で、常に近所には「顔見知りのスタッフがいつ行ってもそこそこ歓迎してくれ、愚痴とか最近あったどうでもいい出来事を半分聞き流しながら聞いてくれて、たまたま隣に座った見知らぬ客と『さっぽろ一番の味噌、塩、しょうゆの中で一番美味しいのはどれか?』について延々とやり合う」ことの出来る酒場が2~3軒あって、その存在は私の生活に欠かせないものになっている。

 

そんな“都合の良い酒場”の存在も後押ししてか、最近一部の友人との人間関係が煩わしくて連絡があっても返事をしない事が多いし、何となく腐れ縁的に続いていた男友達とも会うのを止めたし、SNSで時々連絡が来る幼少期や学生時代の集まりにも顔を出さなくなった。ふと「私は無意識に身辺整理をしているのではないか」と不安になったりもするが、何となくそういう時期なのだと自分に言い聞かせている。

 

私のような人間にとって、「親友」とか「友情」という言葉は危険な言葉だ。小学生の頃にクラスメイトに無視された時も、中学時代に仲良し3人組のバランスが崩れた時も、高校時代に好きな男子の相談をしていた友達に彼を取られた時も、“親友とは常に清廉で、相手の事を思いやるべき存在”という概念に苦しめられた気がする。特に思春期の女子は「私たち親友だよね」などという事を言いたがるものだし、大人になってからも「幼少期からの親友」というものを必要以上に崇高に考える人は(私を含め)多いと思う。

だけど大人になり、人生の転機を何度か迎え、「ライフスタイルや環境が変わりお互いの価値観や考え方も変化していくにつれて、親友が親友でなくなっていくのは当然の流れだ」と考えるようになった。それに伴い、「親友」という言葉自体もあまり使わなくなった。

 

今の私には、とにかく人として好きで一緒に居て落ち着く友人や、仕事や物事に対する価値観を共有できる楽しい友人が数人いる。彼らとずっと友達でいたいという気持ちはもちろんあるけど、時の流れと共に通り過ぎていく人もいるだろう。

友達というものはお互いの人生の中で自然淘汰されていく側面もあって、それは必ずしもネガティブな事ではないような気がする。そしてだからこそ、そんな流動的な人間関係の中でいま自分の周りにいる好きな人たちと出会い、友達になることが出来たのは、奇跡であり必然なのだと思うのだ。

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