父と母のこと

お正月に実家へ行き、憂鬱な気持ちで帰ってきた。

5年くらい前までは、実家でお正月を過ごすことは割と楽しみな行事だったのだが、ここ数年は年老いた両親と対峙することが億劫になってしまっている。

今まで私は自分が円満な家庭に育ったと思っていた。天然で奔放なところもあるけど優しい母、厳しくて口うるさいけど威厳のある大黒柱の父、個性的で私の感性にいつも刺激を与えてくれる姉、そして「いい子」を演じる末っ子の私。

だけど父が定年退職して母の意に沿わない(何のゆかりもない)田舎町に強引に引越してから雲行きが怪しくなった。ここ10年ほどで両親の間にいくつかのまあまあ深刻なトラブルがあり、私は生まれて初めて「家族問題」というものに悩むようになった。

私が末っ子であるが故の無邪気さから気づいていなかっただけなのかもしれないけど、自分の家族はある種完璧な形を保っていると思い込んでいたので、そのショックは大きかった。そして今ではお盆やお正月に実家に帰って70代の両親がつまらない事で口論したり、くすんだ実家の様子を通して二人の”老い”を目の当たりにすることがひどく苦痛に感じられる。

 

私の父は某省庁に勤める国家公務員で、一言でいうと「昭和の男」だ。日本海に面した田舎町で古い価値観を持つ母親に育てられ、時代錯誤とも言えるほどの保守的な考えを持っている。私が小さい頃は顔も性格も父とうり二つだった事もあり、息子が欲しかった父は私を自分の分身のように見ていたのかもしれないと思う。趣味の将棋を小学生の私に仕込もうとレッスンしてくれたが、飽きっぽい私はすぐに音を上げてしまった(当時は天才女流棋士林葉直子さんの全盛期だった)。

父との楽しい思い出と言えば、毎年大晦日になると、母のおせち料理の仕込みを邪魔しないように(という名目で)姉と私を連れて映画館に「寅さん」を観に行く恒例行事があった。おかげで姉も私も「寅さん」が大好きで、今でもみんなで集まると「あのメロンのくだりが」などという話で盛り上がったりする。大学時代、体調不良で行けなくなった母の代わりに父と2人でヨーロッパ旅行に行ったこともある。父と2人きりで何日も過ごすのは初めてで緊張したが、旅先での父はいつもよりはしゃいでいるようで、ローマの食堂のパスタの美味しさに感動したり、ロンドンのコナン・ドイルゆかりのパブで気取って写真を撮ったりしたのは良い思い出だ。

とは言え、思春期以降は父の時代錯誤な物言いに辟易するようになり、また、いつも批判的な目で見られているような気がして父の前では劣等感を感じる事も多くなった。今でも父と会う時は服装など気を遣うし、面と向かって話す時は少し緊張する。

 

母は家族の中で唯一の”ボケ”担当(父も姉も私も完全にツッコミキャラ)でフワフワした人なのだが、その一方で頑固なところがある。

料理やパッチワークが好きで、友達が遊びに来ると家のインテリアや母の手作りの洋菓子を羨ましがられたりした(あくまでも昭和50年代の話)。母は大の音楽好きでもあり、学校から帰ると母がデカいPioneerのレコードプレイヤーでマイケル・ジャクソンエルヴィス・プレスリーを流しながら洗濯物を干したりしていたものだ。

母の思い出というと、とにかく料理にまつわるものが多い。小さい頃は母がキッチンに立って夕食の支度を始めると、隣に立ってその包丁さばきや鍋の中で食材が美味しい料理に変化していく様を夢中になって見学するのが私の日課だった。母はカレーライスやハンバーグやグラタンといった、子どもが好きな料理は自分があまり好きではないせいもあって(笑)あまり積極的ではなく、小さい頃から割と大人っぽいものを食べていたような気がする。そして父が残業終わりで帰宅して晩酌を始めると、自分の夜ご飯には出てこなかった「カレイの煮つけ」だとか「白子」だとか「バイ貝」だとか、いかにも美味しそうなおつまみがテーブルに並び、私は羨ましい気持ちでそれを眺めていたものだ。私が今、大のお酒好きで辛党なのはその影響もあるかもしれない。

母は少女のような気持ちを持った、良くも悪くも”自分中心”的な感覚のある人で、それは彼女が幼い頃に姉弟の中で最も父親に溺愛され、また若い頃から男性にチヤホヤされてきた事と無関係ではないと思う。

母は40代ぐらいまで割と熱心にテニスをやっていたのだが、近所のテニスクラブでいわゆるマドンナ的存在だったらしく、私も学校が休みの日に連れて行ってもらった時など、クラブハウスのレストランでエビピラフを食べながら、母が華やかな様子でテニス仲間と話すのを見て少し誇らしい気持ちになることもあった。東京で生まれ育った母は倹約家の父とは対照的で、銀座で買い物をしたり映画を観たり友達とバーへ飲みに行ったりするのが好きだった。

父は仕事で単身赴任したりと不在がちだったが、母と娘2人の3人でキャッキャ言いながら楽しい生活を送っていたように思う。

 

何だかこうして書いていると、やっぱりそれなりに幸せな家庭だったように思えてくる。もしかしたらそのことが私に「家族」というのはキラキラし続けなければならないものだという概念を植え付けたのかもしれない。そして私が年老いていく両親の姿や、色褪せていく実家の景色に必要以上に失望を感じてしまうのは、まだキラキラした家族への希望を持ち続けているからなのだろう。

でも現実では、親が老いていく姿を真正面から受け入れ続けなければならない。だから私はこれからも憂鬱な気持ちを抱えながら、毎年懲りずに実家に足を運ぶ。

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