ぼんやりとした思い出

 先日、たけしさんがテレビで「バイク事故の前後の記憶があまりない」と言っていた。話の文脈から、単純に事故当日から目が覚めるまでの事を覚えていないというより、事故に遭うまでの経緯というか、当時の生活の中で自分がどんな事を考え、行動していたかの記憶が曖昧だというように私は受け取った。

 

 たけしさんの臨死体験と自分の離婚話を結び付けて語るなんて全くおこがましいのだけど、それを聞いて私は、自分の離婚前後の記憶が(割と信じられないレベルで)すっぽり抜けている事はそんなに異常な事ではないのかもしれない、と思うようになった。

 今となっては笑い話だけど、離婚後何年か経って”離婚証明書”が必要になり、区役所に行ったら申請書類に「離婚成立の日付」を書く欄があって、何となくの記憶を辿って日付を書いて提出したら職員の人に「こちらの記録ではこの日付より1年以上前に離婚届提出があったようなのですが、これとは別の離婚の件ですか?」と訊かれたことがある。

 離婚なんていう人生のビッグイベントの日付を年単位で間違えるなんて有り得ないと思われるかもしれないが、実際今でも、離婚を決意してから離婚成立後に自立するまでのトータル2年ぐらいの記憶がひどく曖昧なのだ。

 

 その曖昧な記憶の中で、いまだに「あれは何だったんだろう?」と時々思い出す小さな出来事がある。(※エロい話ではないです)

 

 当時海外に住んでいた私は夫と別居することになり、身の回りの荷物をまとめ、飼っていたネコ2匹を連れて帰国した(当時30歳)。実家に居候させてもらいつつ就職活動と部屋探しをしていたが、何も予定がない時は家でボーっと過ごす無気力な日々が続いていた。

 ある日、散歩がてら家から徒歩20分ほどの距離の古本屋さんにぶらりと行ってみると、お店はまだ開店前だった。張り紙を見ると開店まであと30分もある。「他にすることもないからその辺に座って待つか」と思い周辺を見ると、お店の脇に一人の男の子が座っていた。夏服の制服らしき白シャツと黒いパンツを履いた高校生ぐらいの男の子だ。

 他人とほとんど会話をしない日々が続いていたせいか、私は何となく人恋しい気持ちになり、その男の子に「お店開くの待ってるの?あと30分もあるね」と話しかけながら隣に座った。ひと昔前の不良少年みたいな雰囲気のその男の子が軽く頷いたので「今日、学校はお休み?」と訊いてみた。

 すると彼は、自分が高校一年生で、先輩とちょっとしたトラブルを起こして停学中であることや、ここから自転車で5分ほどの家に住んでいること、ヒマなので何か面白そうなマンガでもないか見に来たことなどを話してくれた。ポツポツと会話を続けているうちにおばさんが古本屋を開けたので、私たちは「じゃあ」と言って狭い店の中にバラバラに入った。

 私が東海林さだおの本を買ってお店を出ると、マンガを数冊カゴに入れて自転車にまたがる彼とちょうど目が合った。私が咄嗟に「後ろ乗せていって」と言うと、一瞬びっくりしたような表情になったが「いいですよ」と言って自転車を傾けてくれた。

 さっき会ったばかりの男子高校生の腰につかまって二人乗りをしながら、「ここ右」とか道順を説明しながらガタガタ揺られていたら、ふと自分の青春時代の感覚を思い出して、急に鼻がツンとなった。私の実家の前に着くと、私は鼻が赤いのを見られないようにうつむき加減に「ありがとう。何か急に送ってもらっちゃってごめんね」と言った。すると彼は「大丈夫です、じゃあお元気で」と言って私の手を取り一瞬だけギュッと握ると、自転車にまたがって帰って行った。

 

 他人からしたら「だから何だ?」という話だと思う。でも私にとっては実家に居候していた数か月間のうちで唯一印象に残っているのがこの出来事で、男の子の顔などとっくに忘れてしまっているのだけど、10年以上経った今でも時々思い出すことがある。たぶん、無味無臭の日々を送っていた私にとって久しぶりに現実感のある出来事で、ほっこりすると同時に、青春時代の自分と今の(離婚問題に悩む)自分とのギャップに切なさを感じたのだと思う。

 その1か月後くらいに無事就職先も部屋も決まり、もちろんその男の子とばったり遭遇することもなく私は実家を出た。

 

おわり

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